2008年04月14日

99%と100%

「○○が××するのは、〜するためと言われています。」
こういうセリフを、動物番組でよく耳にします。

説明するまでもないのですが、「○○」には動物の名前、「××」にはその動物の行動、そして「〜」には「○○」が「××」する理由が入るわけです。例えば、「エリマキトカゲが襞を広げるのは、天敵を威嚇するためと言われています。」といった具合です。

実際にTVで聞いた時、なるほどな、と頷きながら、明日友人に言いふらしてやろう、とほくそ笑んだりするのですが、ふと考えてみると、この類の情報は、言いふらすには少々不適切な気がするのです。なぜならば、実は、「○○」が「××」する理由が「〜」であるとは言い切れないからです。

もう一度、例文を軸に考えて見ましょう。「エリマキトカゲが襞を広げるのは、天敵を威嚇するためといわれています。」、これを読んでみると、「なるほど、エリマキトカゲは天敵を威嚇するために襞を広げるのか」と思ってしまうところですが、重要なのは、最後の「と言われています。」の部分です。この表現には、「エリマキトカゲ」が「襞を広げるの」が、「天敵を威嚇する」という「確率が高い」、というニュアンスがあります。逆に言ってしまえば、(繰り返しでしつこいですが)「エリマキトカゲ」が「襞を広げる」もっとも妥当な線として、「天敵を威嚇する」という理由が挙げられているに過ぎない、ということです。

私は動物の専門家ではありませんから、例文の内包する情報について詳しく知っているわけではないのですが、恐らく、エリマキトカゲは、ほぼ確実に、天敵を威嚇するために襞を広げるのだと思います。実際、インターネットで「エリマキトカゲ」というキーワードで検索した結果、ほとんどのサイトで、エリマキトカゲが襞を広げる理由を「威嚇するためだ」と断言しています。しかしながら、TVや本(この場合、動物図鑑など)といったメディアでこういったものを取り扱う場合、その信憑性には注意を払う必要があります。もし仮に、上記のサイト運営者の方々と同じように、TV局が番組内で「威嚇するためだ」と断言してしまうと、これは問題です。多くの人に影響を与えるメディアが不確かな情報を流してはいけないからです。

しかし、TVで「○○が××するのは、〜するためと言われています。」という情報が流された時、不思議なことに、ほとんどの人は「○○が××するのは、〜するため」なのだと、確信を持ちます。人は、伝わってきた情報を、無意識のうちに解釈し直すことがあるようです。

これはとても面白いことですが、場合によっては危険でもあるでしょう、前述したように、「仮説」のレベルにとどまっているはずの情報が、ネットワークを通じて「事実」として人々の目につく形で著されているのですから。

私自身も、blogサイトを運営する人間として、取り扱う情報には十分注意していきたいと思います。





※エリマキトカゲの例文はWikipediaを参考にさせていただきました。


投稿者 reroy : 21:45 | コメント (0)

2008年04月03日

特別なもの

電気グルーヴは、私が音楽に興味を持つきっかけになったバンドであり、恐らく、今後これ以上の影響を与えてくれるものは存在しないであろうと言えるほど個人的な思い入れの強いグループなのですが、そんな彼らが、去る4月2日、8年ぶりのニュー・アルバム、「J-POP」をリリースしました。
活動休止中にバンドのファンとなった私にとっては、初めて発売当日―実際は発売日の前日―に入手することのできたオリジナル・アルバムなので、今までとはまた違った感慨を抱きながら、繰り返し繰り返し、イヤフォンが干からびそうなほど聴いています。
音楽的素養の乏しい私が彼らの音楽の良さを説明することは、その辺のおじさんが野球中継を見ながら物知り顔で周囲にワシ流采配を披露するのと同等かそれ以下の行為だと思われますので、興味のある方は、WikipediaYoutubeでどういうバンドであるか確認していただければと思います。

さて、前述したように、電気グルーヴは私にとって特別な存在です。ファン暦こそ浅いものの、電気グルーヴ名義のオリジナル・アルバムはすべて購入しましたし、バンドのトラックメイカーである石野卓球氏のソロ作もほとんど持っています。飽き性の私がここまでの熱意を保って追いかけているバンドは、他にありません。自分でも不思議なほど、心酔し切っているのです。彼らに関してだけ言えば、私は気持ちの悪い人間である、と、笑顔で断言できるのです。

おそらく多くの人にとって、音楽・映画・小説・芸術等、ジャンルを問わず、この人(グループ)だけは別格だ、という存在があるのだと思うのですが、その理由は色々とあるにせよ、やはり最終的には「その人(グループ)にしかない味があるから」というところに終始するのだろうと思います。

そういった感覚は、たとえば上に挙げたような遠い場所にいる人たちに対してだけでなく、身近な人間関係においても言えることです。「あいつはすごく面白い」であるとか、「こいつはとても知識が豊富だ」とか、もしかしたら「あいつは金を借りても催促してこない」なんていうものもあるかもしれませんが、とにかく、人と交友関係を持つ際にも、その人の持つ「味」というものを重視した上で付き合うことが多いのではないでしょうか。少なくとも私はそうです。

またもや着地点が見えて来ないままにここまでキーを打ち続けたわけですが、それが誰であれ、特別な人のいることは幸せなことだなぁ、と勝手に高揚感を覚えながら、今回は終了したいと思います。

失礼いたしました。

投稿者 reroy : 21:35 | コメント (0)