2008年03月29日

文章考その1

こんなサイトを運営しておいておかしな話なのですが、長文を書くことが、とても苦手です。

GYOISODONをご覧になればお分かりいただける通り、面倒くさがりな性格もあってか、一つの事を伝える時に用いる単語の数が、極端に少ないのです。ものによっては、本人にしか内容の分からないような、自分以外の人間が閲覧しているblogという場に不似合いな日記も多々見受けられます。

この苦手意識は小学生時代からのもので、「読書感想文」なんてものは、もう大嫌いで仕方ありませんでした。自分の伝えたいことは5〜6行で事足りてしまうので、読んだ本のあらすじを、400字詰め原稿用紙2枚半、つまり、提示された字数の2/3以上も使って、出来る限り詳細にわたって書いていました。
あらすじを書く、というのは、もはや読書感想文の「あるあるネタ」と化していますが、あそこまで中身のない作文を書いていた小学生は、あまりいなかったんじゃないでしょうか。

しかし今までで一番辛かったのは、やはり大学での卒業論文の執筆でした。なにせ、「結論なんかあやふやでもいいから、とにかく量だけしっかりこなして欲しい」というのが教授の要求でしたから、随分と長い間、結論を誤魔化さずに教授の求めるノルマを達成することが出来るのか、というプレッシャーに苦しめられたものです。
最終的に単位を取得することができ、無事卒業することとなったのですが、危惧していた通り、分量を増やそうと意識するあまり、自分なりに納得のいくものは書けませんでした。現在でも、そのことはとても後悔しています。

そもそも、何故どの作文や論文にも「制限」が必要なのか、20歳を過ぎた今でも、まったく理解できません。
人にはそれぞれ考えることがあり、それを公に伝えるために「作文」や「論文」というものがあるわけですが、全員が全員同じ字数で物事を伝えられるわけではありません。100字で十分、という人もいれば、10000字あっても足りない、という人もいます。
なのに、学生時代に課されるのは、「〜字以上」であるとか、「〜字以下」であるとか、とにかく制限の多いものばかりです。

限られた条件の中でいかに優れた文章構成ができるかを学ばせるためだ、というのは分かるのですが、提示する側が「教育」という身勝手なエゴを強いる分だけ、柔軟な考えを持った若い人たちの瑞々しいアイディアを取りこぼしているのではないか、という気もするのです。

そういった作文・論文が不要であるとは言いません。ただ、もう少し自由度の高い環境の中で、のびのびと、好きなことを書き殴れる、そういう機会を、幼いうちに設けさせてあげれば、もっともっと面白いものが世に出てくるのでないか、という思いが、私の中には強くあります。

失礼いたしました。

投稿者 reroy : 01:28 | コメント (0)

2008年03月20日

「おすすめはどれですか」

今年の二月、私は友人と二人でとある焼き鳥屋に行きました。私はそれまで何度かそのお店にお邪魔していたのですが、同行していた友人は初来店だったようで、こんなお店があったんだねぇ、中はこんな雰囲気なんだねぇ、などと言いながらきょろきょろ店内を見回し、まだ見ぬ料理に胸を膨らませているようでした。

私たちは上着を脱いで、いすに座り、それを見計らって、店員さんが注文を聞きにやってきました。私は、最初はつくねかねぎまだ、と生意気にも勝手な自分のルールを作っていたので、とりあえずその二つを、と思い、口を開こうとした瞬間、友人が店員さんに対して、「この店って、おすすめあります?」と、思いがけないことを言ったのです。

私は一瞬、ルールをぶち壊しにされたことに軽く苛立ったのですが、それよりも、この問いに対する答えが気になったので、とりあえず友人と店員さんのやり取りを観察してみました。店員さんは少しの間、眉間にしわを寄せて悩んだ後、売れ行きとしてはこれがいいですけど、と言って、メニューの中にある一品を指差しました。私はその時、その店員さんに親しみを感じました。

私は、こういった質問をされることが大嫌いです。何故ならば、味覚というものは十人十色、各々に美味いと思えるもの、不味いと思えるものが違うのであって、たとえ他人が強く薦めたものであっても、それが必ずしも自分に合うとは限らないからです。特に私は、老舗のラーメンとインスタントのものとの味の区別が全くつかず、どうせ同じ料理なら安い方がいい、という理由でインスタントを選ぶような味音痴ですから、こういうことを聞かれると本当に困るのです。

上のような場合、もし店員さんが自分の好みで品を薦め、友人がそれを気に入らなければ、どうなるでしょうか。友人は、その店員さんの味覚を疑うか、畜生店員の野郎に騙されたと感じるでしょうし、店員さんは申し訳ないと感じるか、もしかしたらそんなことは人の勝手だと居直るかもしれません。どちらにしても、得する人間などいないのです。

しかしながら、このお店の店員さんは、あくまで個人の好みではなく、そのお店で一番売れているものを提示しました。この答えには、数字の物語る圧倒的な説得力があります。お店はその近辺ではよく知られていますから、当然リピーターも大勢います。そこで一番売れているものなので、信憑性の高さは言うに及ばずでしょう。

中には、「これ食ったんですけどめちゃくちゃ美味いっスよ」と自分の好きなメニューをモーレツにレコメンドする、接客なんてお手の物、といった具合のニーちゃんネーちゃんもいるでしょうが、私は、自信がないながらも、なるべく確実で無難な選択をする人の方に好感を持ちます。何故なら、自分の味覚を基準にして、自信満々に個人的な好みを客へ強いる店員の態度を、図々しい、と感じてしまうからです。胸を張って言うことでもないのですが、食に対する価値観が私と合致する人間など、そうそういるものではありません。仮にいたとしても、そんな人間が、飲食店で、お客さんに、あれがうまい、これがうまい、などとのたまっていることを考えると、本当に恥ずかしくて、情けなくて、そして何より恐ろしくて、身悶えしてしまいます。

別にどちらが正しいというわけではありません。今回のケースにおける店員さんの回答を「おもしろくない」と思う人がいても、なんら不自然ではないでしょう。そこから始まる店員さんとのコミュニケーションを楽しみに来店する方もいらっしゃるはずですから。むしろそういう人の方が健全な気さえします。

ただ、店側に(あくまで常識的な範囲ですが)わがままを言える客と、それをすべて受け止めなくてはいけない店員という二つの視点が、まったく異なったものである、ということを、人は理解すべきなのではないかな、と思ったので、今回このような文章を起こすにいたりました。無理やりなまとめですが、とどのつまりは、客であろうが店員であろうが、思いやりあってこその人間関係だ、というところに終始するのではないでしょうか。

ちなみに、焼き鳥屋で店員さんの指差した品がなんであったかは忘れてしまったのですが、「それ鶏じゃないじゃん」と思ったことだけは、なぜかはっきりと覚えています。

失礼いたしました。

投稿者 reroy : 22:34 | コメント (7)

2008年03月18日

マイクテスト

試験運営します。

実はこのblog、昨年の春頃既に設定だけは済ましていたんですが、使い道がよく分からず、一年近く放置していました。しかしながら、せっかく作ったのだし、なんとか更新していきたいと、ここ数日の間で急に意欲が出始めたので、かなりの見切り発車ですが、2008/03/18を、出発日ということにしたいと思います。

GYOISODONと違うのは、不定期であることと、あちらと比べて、多少長めの文章を更新する、ということです。
どちらも駄文であることは、どうしようもないので、大目に見てくだされば、と思います。

というわけで、今後とも宜しくお願い申し上げます。

投稿者 reroy : 23:55 | コメント (0)