大人になると娯楽を純粋に楽しめなくて嫌だねぇ、なんて言うけれど、
あれやこれやちゃちゃを入れながら楽しめるのは素晴らしい事だよ。
子供には「純粋に楽しむ」っていう洗濯しか出来ないけれど、大人は疑う事も知っているから、
故意的に大人な楽しみ方をしているのであって、そんなことも分からない大人は子供なんだ。
こっちだって純粋に楽しもうと思えば簡単に出来ちゃうんだ。子供が引くくらい没入してやるよ馬鹿野郎。
このブログを更新し始めてどれだけ経ったか忘れたけど、実は最初から今までずっと意識していたことがある。それは、「いつ読み返しても自分自身がその時の自分を客観視出来るような文章にする」ということ。だからなるべく抽象的な内容にしてわざと自分でも記憶をたどることが難しくなるようにしていたり、一人称を極力使わないようにしたり、時間という概念を削いだりしてる。しかし、当たり前のことではあるものの、ここまで「日記性」を省いてしまうと、なんだか本当に意味の無い単語の羅列になってしまって、「毎日続ける」という事に対するモチベーションがたまに根っこから腐ってしまいそうになる。
でも毎日毎日そんなに特筆すべき出来事があるわけじゃない、というかむしろ何にも無い日の方が圧倒的に多いわけで、そんな中でもなんとか一行、一文、一単語、過去の記事と被らないようにひねり出してる「僕」を、たまには褒めてやっても良いんでないの、と、2009年8月11日の「今日」、ふと思った。
やっと重い腰を上げて耳鼻科に行った。外耳炎らしく、鼓膜は無事なのだそうだ。良かった。
しかし、本来診てもらうつもりだった右耳よりも左耳の掃除に難儀していた医者先生がなんだか不憫だった。